※あとがきというより反省会です
※弊サークルの新刊に関する大いなるネタバレばかりです
5年前、ノートルダムが燃えた日、市民は街角で賛美歌を歌い、僕は得も言われぬ感情にとらわれていた。
大聖堂の尖塔が燃え落ちる。「滅び」を美しく思うのは日本人の気質なのか世界共通なのか分からないが、本作はかような感傷が全体的な着想になっている。
万物は流転し、ついには神すら滅びた現代だが、その神々が死の間際に使わした者がアイドルであると、僕は半ば本気で信じている――いや、信じたいのだが、なにせ本物のアイドルとはキャラクターなのだ。そのため待てど暮らせどやってこない。ちょうどそう、あのゴドーの奴のように。最初は『ゴドーを待ちながら』みたいな話をやりたいと考えたのだ。当初の予定題は『ゴドーは来ないがアイドルは』だったぐらいに。
名も無き男と女はアイドル・天空橋朋花の到来をひたすら待つ。神秘的な正気・狂気が半々であり、それぞれの言い分で劇場を手に掛けようと企む。しかしそこに本物の神秘が到来し、全ては掻っ攫われてしまう。本書の内容はこれに尽きる。セカイ系に置かれた脇役たちの物語といえば分かりやすいだろうか。
当初はもっと軽いノリ(と垣間見える重さ)で物語を展開するつもりだった。しかし、男も女も人生を放り捨て、最悪の場合他者に危害を成してしまうのだから、二人の動機はそれなりに厚くする必要があった。ならば、それぞれの物語を展開するべきだろうと、最終的には前後編を通して進行していくという構造に。放火の動機は三島の「金閣寺」を参考にしたかったが、読書する時間が取れず、黒澤「生きものの記録」の影響が色濃くなっている。(言わずもがな、タルコフスキー後期作品も)
しかし、「ゴドー」を鑑みれば、朋花を一切出さず、その周辺を描写して、彼女を浮かび上がらせることに注力した方が良かったかもしれない。実際、初期案はそうだった。だが、二次創作というものの性格や、僕の技量もあり、早い段階で放棄。まあ、それでもよしとしよう。二人の望むアイドルは結局現れず、ただ救済がそこに残ったのだから……。